1980年代半ばに、テニスラケットは木製のものからカーボンなどの素材で作られた、現在のラケットに近い形になった。
結果、ボールはスピードが出やすくなり、回転もかかりやすくなった。
現在の「3Dテニス」と呼ばれている、ビヨン・ボルグを先駆者とするトップスピン主体のグランドストロークを軸とするテニスは、ここから始まったと言える。

その進化を語るうえで見ていただきたいのが、イワン・レンドルのテニスだ。
1980年代半ばまでの彼のテニスと、1990年近くになってからの彼のテニスを見比べると、前者は比較的緩やかな返球をしているのに対し、後者はかなり強打しており、現在のトップ選手とほぼ同じくらいのスピードが出ている。
ラケットの変化による打球の質の変化が一目で見て取れる。

また、このようなストローク主体のテニスに移り変わった背景はもう一つあり、それがコートの変化である。
1980年代はジョン・マッケンローやステファン・エドベリなどが代表であるように、サーブの後サーブ&ボレーを軸とする戦い方が主流であり、多くの選手がネットプレーを多用していた。現代テニスの先駆者と呼ばれるボルグですらサーブ&ボレーを使用し、ネット前に出てボレーをするシーンが頻繁に見られた。
これは当時のラケットの質の悪さによるものであり、今に比べるとスピードも出にくく回転もかかりにくいため、サーブやストロークのみでポイントを奪うのは非常に困難であったため、確実にポイントを取りに行くためにはネットプレーが必須であったためである。
(ただしクレーコートは球足が遅く、ネットに出るタイミングがつかみにくいためストロークの応酬になりがちなためこの限りではなかった)
特に速い展開が求められる芝のコートではネットプレーは必須であったと言われ、レンドルがウィンブルドンだけ獲得できなかった理由も、ネットプレーが不得意であったことが原因であると言われている。
しかし、ラケットが進化したことにより、力強いストロークが打てるようになり、ストロークだけでも十分ポイントを奪うことができるようになり、ネットプレーの重要度は落ちた。
(同じくトップスピンストロークを武器としているボルグとナダルのテニスを比較すれば一目瞭然である)
そしてストローク以上にラケットの進化の恩恵を受けたのがサーブであった。
サーブで非常にスピードが出やすくなったため、1980年代後半から、ボリス・ベッカーなどのように、高速サーブを武器とする選手が急増した。
結果1990年代は、シュティッヒやフィリプーシス、松岡修造などのビッグサーバーがはびこる時代となった。
しかし、サーブというのはストロークやボレーと違い一番最初に打つものであるため他の技術を必要とせず、何よりフットワークが求められないため、ビッグサーバーというのはサーブしか取り柄のない選手になりがちである。
(ストロークはある程度サーブで相手を崩して主導権を握らなければ意味がないし、ボレーもストローク戦で相手を翻弄してアプローチをかけるタイミングを作らなければならないため、それ自体の技術だけでは活かすことができない。しかしサーブはこれらと違い、サーブで点を取りたかったら極端な話サーブだけ練習していればいいのである)
つまりビッグサーバー同士の対戦になると、サーブ、もしくはサーブ&ボレーだけでポイントが次々と決まってしまい、単調な試合になりがちである。
(実際1990年代はそういった試合が非常に多かったらしい)
そのような試合は観戦者からすると非常につまらないため、批判の対象になった。あまりのつまらなさにテニスから身を引いた者さえいたらしい。
(実際サーブ&ボレーはもともと単調で見ていてつまらないという批判は多かった)
その中で当時アガシやチャンなどのようなストローカーは希少で、かつテニスを盛り上げるために必要不可欠な存在であったと言われている。

それを受け、各テニスコートはボールのスピードが出にくいように作り替えられ、結果的にストロークでの粘りが重要視される時代が到来し、2000年代からはストロークを武器とする選手が急増、それに伴いスピードがものをいうビッグサーバーは徐々に衰退したのである。
(実際ビッグサーバーでランキングトップになったのは2003年のロディックが最後であり、それ以降ビッグサーバー系でランキング上位に入った選手は本当に少ない。現在の上位選手を見てもキリオスやイズナー程度)

長くなってしまったが、これがラケットとテニスコートの変遷に伴うテニスの変化である。

そして今、1980年代を戦ったジョン・マッケンローなどの選手や、当時のスポーツ解説者たちは、現代の3Dテニスを強く批判している。

それはなぜか。
答えは単純で、彼らはサーブ&ボレーやネットプレーを多用する当時のテニスの方が面白かったと感じているのである。
(武田薫氏というスポーツライターが『サーブ&ボレーはなぜ消えたのか』という著書を出しているほど)

しかし、現代のような強烈なスピンのかかったストローク同士の打ち合いの中では選手はベースライン後方に押し下げられ、ストロークでの打ち合いを要求される。自分も相手をストロークで崩すことが困難なため、ネットに出るタイミングも作りにくい。
現代の選手が昔の選手と比べてボレーが下手だと言われる所以がこれである。
練習をサボっているとかではなく、単純にネットプレーを使う場面が少ないのだ。
こうして現代のテニスのシングルスではネットプレーというものが徐々に衰退した。あのBIG4(フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー)を見ても、あの中でボレーが際立って上手いのはフェデラーだけである。
(そんな時代だからこそ、逆にネットプレーで他に差をつけストローカーたちを一掃できた全盛期のフェデラーが強かった、と考えることもできるが)

テニス黄金期の選手やスポーツ関係者はこのようなネットプレーの衰退した現代のテニスはつまらないと批判し、当時のネットプレーが多用された時代のテニスこそが面白いと主張しているのである。
それだけではなく、彼らはラケットを規制する動きさえ始めている。
その内容は、ラケットのフェイスを小さくして当時の木製ラケットと同じサイズにし、ラケットの長さも当時に戻し、当時のようなスピンのかかりにくいラケットにするというもの。
こうして当時のネットプレーを多用するテニスを再現しようというのが彼らの運動である。


ここからは私の意見。


今のテニスがつまらないからと言ってラケットまで規制しようと主張する彼らは、私から見ればただの老害である。


なぜか。
簡単な話で、彼らの「今のテニスがつまらない」という主張は、あくまで彼らの感想に過ぎないものであり、それによってテニスに何らかの弊害があるわけでもなんでもないからである。
言ってしまえば彼らの意見はただの懐古補正なのだ。
むしろサーブ&ボレーは見ていてつまらないという批判があったのだから、昔のようなテニスに戻せばそういった批判が増えるだけで、むしろそちらの方がテニスにとって弊害になりえるとさえ言えるのではないだろうか。

現代のテニスを嗜んでいるプレイヤーにとっては、テニスの醍醐味は、BIG4や錦織圭が見せるストローク同士の打ち合いである。
時代とは変わるものなのだ。
ラケットやコートが変わればプレイヤーや観戦者たちの趣向も自ずと変わってくるものである。

もちろん彼らの意見は一つの意見として尊重すべきであるし、それを全否定するつもりは私も毛頭ないのだが、彼らの言うようにラケットまで規制してしまったら、何が起きるか。
ボールが当たりにくくなり、テニスの難易度が増す。初心者の敷居が高くなる。それにより、テニスから離れていく者も出てくるだろう。
これこそテニスにとっては弊害に他ならない。
ラケットの素材が変わり、面が大きくなったことでボールが当たりやすくなり、初心者もとっつきやすいスポーツになったのだが、ラケットを戻してしまえばそれも台無しである。
1980年代までの当時の選手はもともとそういったラケットを使っていたから適応できていただけの話であり、今のラケットから急に昔のようなラケットに変わってしまえば、今のプレイヤーは急激な難易度の変化についていけず、戸惑うだけである。
(時間をかけて少しずつ変化させていけばそのダメージを最小限に抑えられるのかもしれないが)

しかし、今のテニスプレイヤーや観戦者たちは、今のストローク同士の打ち合いを楽しんでいるのだから、それはそれで何も悪いことはないはずである。
変化を受け入れて見守るのも、先駆者たちの役割なのではないだろうか。

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