全盛期のサンプラスと全盛期のフェデラーが試合したらどちらが勝つのか、という疑問については、昔から議論されている。
どちらも史上最高のテニス選手であると言われ、サーブ・ストローク・ネットプレー全てにおいてトップレベルの技術を持つオールラウンダーである。

2人が現役時代に試合したのは2001年のウィンブルドンの4回戦のたった1回のみであるが、この時サンプラスは持病の貧血病が進行中であったため(1年後の全米で復活優勝しているとはいえ)全盛期ほどの力はなく、フェデラーもまだメンタルが不安定で技術的にも全盛期ほどのレベルには達していない。
結果的に勝利したのはフェデラーであったが、この試合はどちらが勝つのかを判断する材料にはなり得ない。

そもそも彼らは実力的にはほぼ拮抗しているといっても差し支えないため、レベルでどちらが上かという議論をしても答えは出ない。つなると、二人のプレースタイルで比較するしかないのである。

同じオールラウンダーでも、サンプラスはビッグサーバー寄り(サーブ&ボレー主軸)で、フェデラーはストローカー寄り(グランドストローク主軸)であることを念頭に置きたい。
つまるところこの2人の試合はビッグサーバーvsストローカーの試合と捉えた方が分かりやすいのである。

まず2000年代以降のテニスは1990年代のテニスとは根本的にコンセプトが異なっている。1990年代はサービスエース、またはサーブ&ボレーで速攻で相手をねじ伏せる戦法が主流であるが、2000年以降はフットワーク力を活かし、粘り強いストロークでコートを守る戦法が主流となっている。
つまり2000年以降のストローカーたちはリターン力にも優れているため、基本的には90年代のビッグサーバーたちに対しては軒並み有利なのである。(もちろん90年代と00年以降ではサーフェスが少し異なり、後者の方が球足が遅いため一概にそうとは決めつけられないが)。実際2000年以降トップに上がったビッグサーバーはロディック程度で、その他は目立つ成績を残していない。つまるところビッグサーブ主軸のテニスは現代では通用しにくいのである
それだけえではなく、スポーツは道具も日々進化しており、シューズにしてもラケットにしても、現代の方が圧倒的に選手に負担の少なく使いやすいものになっているため、そういった意味でも現代の選手の方が有利である。
これを基にすると、フェデラーの方に軍配が上がるのでは、という推測がまず立つ。実際ネットでもフェデラーが有利であるという意見が多数を占めている。

しかし、テニスはそんな単純なものではなく、サーフェスごとの相性もあるため、まずはサーフェスごとに考察したい。

①グラスコート
芝のコートは球足が速く、二人のような即効型の選手に相性が良い。
サンプラスのようなビッグサーブ軸の戦法でも、芝のコートであれば通用しやすいため、相性を考慮しても互角な試合ができるのではないかと推測される。
サンプラスのサービスの調子次第ではサンプラスがフェデラーを圧倒する可能性も十分考えられる。

②ハードコード
選手による得意不得意が最も少ない中間的なサーフェス。
かなり微妙なところだが、フェデラーのリターン能力の高さを考慮するとややフェデラーが有利なのではと個人的に推測。
とはいえ圧倒的な差が付くわけではないのでフェデラー6:4サンプラス程度の差というところか。
※あくまで個人的な推測

③クレーコート
間違いなくフェデラーが全勝。
2人のクレーコートでの成績を比較すれば一目瞭然で、フェデラーは全仏で1度の優勝と4度の準優勝があるのに対しサンプラスは全仏では決勝にすら上がっていない。
クレーコートではストロークの長期戦を制することが求められるため、長期戦を苦手とするサンプラスには相性が悪く、ストローク力の勝るフェデラーが圧倒的有利となる。

これらを総合すると、総合的にはフェデラーが勝ち越すのではないかというのが個人的な推測である。

しかし、先述した通り90年代のコートと00年以降のコートでは球足が違うため、どちらのコートで試合するかによっても結果は異なるし、道具の性能によっても左右されるため、この議論は永遠にはっきりとした答えは出ないと言ってもよいだろう。
「最近のテニス選手はネットプレーが下手だ」という声は、至るところで聞く。
実際現代のテニスのシングルスではネットに出るプレーはかつてより少なく、あったとしてもコースが甘かったり、ミスになったりする場面が頻繁に見られる。
4強と呼ばれるフェデラー・ナダル・ジョコビッチ・マレーを見ても、明確にボレーやスマッシュが上手いと言えるのはフェデラーだけであり、それ以外の3人は(今の時代であることを考慮しても)トップ選手としては標準かそれ以下である。

ではなぜ現代のテニスではネットプレーのレベルがここまで落ちたのか。
それは現代のテニスの試合の様相を見ればよくわかる。

現代のテニスでは選手がベースライン後方に押し下げられており、ひたすら後ろで自分のコートを守るテニスになっているのである。

そうなった理由はラケットとコートの変化にある

80年代頃、特にマッケンローがいた時代の試合を見ると、多くの選手がネットに出て積極的にボレーをしている。
「サーブ&ボレー」が当時の最も主流な戦法であったことからも、当時のネットプレーの盛んさがうかがえる。
マッケンロー/エドベリ/ベッカーなどのサーブ&ボレーヤーは言うまでもないが、ストロークを最も得意とするコナーズやボルグでさえサーブ&ボレーを多用し、積極的にネット前に出ていたのである。

これはなぜかというと、当時のラケットの性能の問題
80年代初頭まではラケットが木でできており、形も今のラケットとはかなり違い、面も小さい。そのため、ボールにスピードが出ず回転もかかりにくいため、ストロークやサーブでポイントに繋げることが困難であった。
そのため、確実にポイントをとるためにはネットプレーが必須であったのである。

球足が遅くボールが跳ねるクレーコートでは結局ベースライン上でのストロークの応酬となってしまうためネットプレーの重要度は当時も低かったが、速い展開が求められる芝のコートではネットプレーは最も重要度が高いと言われていた(先にネットに出ないと相手に先にネットに出られて決められる)。

しかし、80年代半ばにラケットは進化し、現在に近い形になった。
ボールにもスピードが出るようになり、回転もかかりやすくなった。これが何を意味するかというと、サーブやストロークだけでもポイントをとることが可能となった。つまり現代のネットプレーを必要としないテニスは、ここから始まったと言える。
(とはいえ80年代~90年代までは今より面も小さく今ほどスピンがかからないため、80年代までの名残でサーブ&ボレーやネットプレーは行われていた。本格的にそれらが減っていくのは2000年以降である)

そして、現代のナダルやジョコビッチなどのテニスを見ていれば分かる通り、今のラケットはかなり回転がかけやすく、ネットの上高いトップスピンのボールが行きかう。つまり、打ち返すためには後ろに下がる必要があり、このトップスピンのせいで現代の選手はどんどんベースラインの後ろへと押し下げられ、結果的にネットプレーとは無縁に近い、ストロークでひたすら自分のコートを守る時代へと突入したのである。
当然このスピン重視のテニスの開祖はボルグ
(実際フェデラーやツォンガなどの攻撃的な選手やネットに対して積極的な選手は、少しでも前の位置で打つためにライジングショットを多用している)
また、ラケットも面が広がり、ボールを捉えやすくなったことで、速いボールにも安定して返球することができるようになったことも、ネットに出にくくなった要因の一つである。

80年代に活躍したイワン・レンドルは、ある意味最もこの現象を象徴する選手であるかもしれない。
彼は80年代の選手にしては珍しく、サーブとストロークが得意でネットプレーが不得意な選手であった。
そのため、80年代前半は(上位にこそいたものの)4大大会のタイトルにあと一歩届かないことが多かった。(実際80年代前半の彼は4大大会の優勝はなく準優勝が多い)

しかし、ラケットが進化し、ネットプレーの重要度が落ち、ストロークとサーブで戦うことができるようになった影響で、80年代半ばから後半にかけて4大大会優勝を獲得し、世界ランキング1位の座に長く就いている。

実際彼は当時ネットプレーが必須と言われた芝のウィンブルドンのみ4大大会の中では惜しくも優勝経験がない。また彼が1番最初に獲得した4大大会のタイトルは土の全仏オープン(1984)であった(=クレーコートであれば80年代前半でも戦うことができた)。

ラケットの変化の影響を最も受けた選手がレンドルであるといっても過言ではない。


またコートの変化も要因の一つである。
以前話した通り、ラケットの進化の恩恵を最も受けたのがサーブであり、80年代後半~90年代のテニスではビッグサーバー蔓延る時代となり、テニスの高速化が頂点に達し、サーブだけでポイントが終わってしまうような単調な試合が多くなった。
それによって観戦者から「今のテニスはサーブ1発で決まってつまらない」と批判され、2000年以降はコートがスピードが出にくいものに作り替えられたのである。
ボールにスピードが出ないということは、強いボールを打っても相手を崩しにくいという事であり、アプローチショットの精度は当然落ち、ネットには出にくくなる。こうしてコートという側面からも、ネットプレーが使いにくいテニスというものが形作られてきたのである。

今の選手がネットプレーが下手というのは、ラケットやコートの影響で使う機会が減ったのが原因であり、決して練習を怠った結果ではない。
特に2010年以降、ジョコビッチが覇権を握ってからは、守備力重視のテニスに拍車がかかった印象があり、今後テニス界がどう動くか、これからも見守っていきたい。
私はロジャー・フェデラーを強く敬拝し、ラケットも彼のものを一時期愛用していた。
彼がなぜ史上最高のテニスプレイヤーと呼ばれるのか。
それはただ単に彼の持つ優勝記録やランキング保持記録だけではなく、そのプレースタイルにも由来していると私は考えている。

彼のプレースタイルは簡単に言えば「超攻撃型」。
球足の遅いクレーコートでもそれなりの記録を持っていることから守備力もそれなりのレベルで持ってはいるが、基本的にはサーブ・ストローク・ボレーをフルに駆使して即効で攻めるのが彼のスタイルである。

それに対して、現代のテニスの主流はナダル・ジョコビッチなどが象徴するように「守備」であり、攻撃テニスは2000年以降徐々に廃れつつある。

そもそもなぜテニスが攻撃から守備へと変化したかというと、以前別の記事で話した通り、ラケットとコートの変化がある。
80年代前半までのウッドラケットはラケット自体の性能が悪く、スピードも出ずスピンもかかりにくかったため、ポイントをとるためにはネットプレーが必須であったことに加え、フェイス面積も小さく、ラケットの長さも短かったため、現代に比べてボールに追いつきにくかった。
しかし現代ではラケットのフェイス面積も大きく、ラケットも長くなっているため、厳しいコースに打ち込まれてもかつてに比べて追いつきやすくなっている。
またテニスコートも変化しており、80年代後半から90年代のテニスが高速化しすぎて試合が速攻で決まってしまい、単調でつまらないと批判されたため、スピードが出にくいようにサーフェスが作り替えられている。

そのため、結果的にストロークでの粘りが要求される時代となり、攻撃的なテニスは通じにくくなった。

つまるところフェデラーのプレーは時代に逆らうスタイルということになる。
特に2010年代以降はナダルに加えてジョコビッチの台頭を受け、守備的なテニスの傾向はより強くなっている。フェデラーが成績を落としているのは単に体力の低下だけでなくこの時代の変化も加わった結果だと考えられる。
それでも彼は2010寝に好になってもグランドスラムを5度も制し、世界ランキング1位復帰を2度も果たしている。

これだけの向かい風を受けながらも攻撃的なプレーを続け、その中で天下を取った彼は史上最高のオールランダーであると言える。
他の攻撃的なテニスを繰り広げた選手たちも、2000年代のストローカーの守備をなかなか崩すことができず、思うような成績を残すことができない選手は多かった。
(ロディックのようにフェデラーに一蹴されがちだった選手も多かったが)
これからはドミニク・ティエムなどのような新勢力も加わり、守備的な傾向は一層増していくと思われるが、そんな中でどんな選手が覇権を握るか、楽しみなものである。
1980年代半ばに、テニスラケットは木製のものからカーボンなどの素材で作られた、現在のラケットに近い形になった。
結果、ボールはスピードが出やすくなり、回転もかかりやすくなった。
現在の「3Dテニス」と呼ばれている、ビヨン・ボルグを先駆者とするトップスピン主体のグランドストロークを軸とするテニスは、ここから始まったと言える。

その進化を語るうえで見ていただきたいのが、イワン・レンドルのテニスだ。
1980年代半ばまでの彼のテニスと、1990年近くになってからの彼のテニスを見比べると、前者は比較的緩やかな返球をしているのに対し、後者はかなり強打しており、現在のトップ選手とほぼ同じくらいのスピードが出ている。
ラケットの変化による打球の質の変化が一目で見て取れる。

また、このようなストローク主体のテニスに移り変わった背景はもう一つあり、それがコートの変化である。
1980年代はジョン・マッケンローやステファン・エドベリなどが代表であるように、サーブの後サーブ&ボレーを軸とする戦い方が主流であり、多くの選手がネットプレーを多用していた。現代テニスの先駆者と呼ばれるボルグですらサーブ&ボレーを使用し、ネット前に出てボレーをするシーンが頻繁に見られた。
これは当時のラケットの質の悪さによるものであり、今に比べるとスピードも出にくく回転もかかりにくいため、サーブやストロークのみでポイントを奪うのは非常に困難であったため、確実にポイントを取りに行くためにはネットプレーが必須であったためである。
(ただしクレーコートは球足が遅く、ネットに出るタイミングがつかみにくいためストロークの応酬になりがちなためこの限りではなかった)
特に速い展開が求められる芝のコートではネットプレーは必須であったと言われ、レンドルがウィンブルドンだけ獲得できなかった理由も、ネットプレーが不得意であったことが原因であると言われている。
しかし、ラケットが進化したことにより、力強いストロークが打てるようになり、ストロークだけでも十分ポイントを奪うことができるようになり、ネットプレーの重要度は落ちた。
(同じくトップスピンストロークを武器としているボルグとナダルのテニスを比較すれば一目瞭然である)
そしてストローク以上にラケットの進化の恩恵を受けたのがサーブであった。
サーブで非常にスピードが出やすくなったため、1980年代後半から、ボリス・ベッカーなどのように、高速サーブを武器とする選手が急増した。
結果1990年代は、シュティッヒやフィリプーシス、松岡修造などのビッグサーバーがはびこる時代となった。
しかし、サーブというのはストロークやボレーと違い一番最初に打つものであるため他の技術を必要とせず、何よりフットワークが求められないため、ビッグサーバーというのはサーブしか取り柄のない選手になりがちである。
(ストロークはある程度サーブで相手を崩して主導権を握らなければ意味がないし、ボレーもストローク戦で相手を翻弄してアプローチをかけるタイミングを作らなければならないため、それ自体の技術だけでは活かすことができない。しかしサーブはこれらと違い、サーブで点を取りたかったら極端な話サーブだけ練習していればいいのである)
つまりビッグサーバー同士の対戦になると、サーブ、もしくはサーブ&ボレーだけでポイントが次々と決まってしまい、単調な試合になりがちである。
(実際1990年代はそういった試合が非常に多かったらしい)
そのような試合は観戦者からすると非常につまらないため、批判の対象になった。あまりのつまらなさにテニスから身を引いた者さえいたらしい。
(実際サーブ&ボレーはもともと単調で見ていてつまらないという批判は多かった)
その中で当時アガシやチャンなどのようなストローカーは希少で、かつテニスを盛り上げるために必要不可欠な存在であったと言われている。

それを受け、各テニスコートはボールのスピードが出にくいように作り替えられ、結果的にストロークでの粘りが重要視される時代が到来し、2000年代からはストロークを武器とする選手が急増、それに伴いスピードがものをいうビッグサーバーは徐々に衰退したのである。
(実際ビッグサーバーでランキングトップになったのは2003年のロディックが最後であり、それ以降ビッグサーバー系でランキング上位に入った選手は本当に少ない。現在の上位選手を見てもキリオスやイズナー程度)

長くなってしまったが、これがラケットとテニスコートの変遷に伴うテニスの変化である。

そして今、1980年代を戦ったジョン・マッケンローなどの選手や、当時のスポーツ解説者たちは、現代の3Dテニスを強く批判している。

それはなぜか。
答えは単純で、彼らはサーブ&ボレーやネットプレーを多用する当時のテニスの方が面白かったと感じているのである。
(武田薫氏というスポーツライターが『サーブ&ボレーはなぜ消えたのか』という著書を出しているほど)

しかし、現代のような強烈なスピンのかかったストローク同士の打ち合いの中では選手はベースライン後方に押し下げられ、ストロークでの打ち合いを要求される。自分も相手をストロークで崩すことが困難なため、ネットに出るタイミングも作りにくい。
現代の選手が昔の選手と比べてボレーが下手だと言われる所以がこれである。
練習をサボっているとかではなく、単純にネットプレーを使う場面が少ないのだ。
こうして現代のテニスのシングルスではネットプレーというものが徐々に衰退した。あのBIG4(フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー)を見ても、あの中でボレーが際立って上手いのはフェデラーだけである。
(そんな時代だからこそ、逆にネットプレーで他に差をつけストローカーたちを一掃できた全盛期のフェデラーが強かった、と考えることもできるが)

テニス黄金期の選手やスポーツ関係者はこのようなネットプレーの衰退した現代のテニスはつまらないと批判し、当時のネットプレーが多用された時代のテニスこそが面白いと主張しているのである。
それだけではなく、彼らはラケットを規制する動きさえ始めている。
その内容は、ラケットのフェイスを小さくして当時の木製ラケットと同じサイズにし、ラケットの長さも当時に戻し、当時のようなスピンのかかりにくいラケットにするというもの。
こうして当時のネットプレーを多用するテニスを再現しようというのが彼らの運動である。


ここからは私の意見。


今のテニスがつまらないからと言ってラケットまで規制しようと主張する彼らは、私から見ればただの老害である。


なぜか。
簡単な話で、彼らの「今のテニスがつまらない」という主張は、あくまで彼らの感想に過ぎないものであり、それによってテニスに何らかの弊害があるわけでもなんでもないからである。
言ってしまえば彼らの意見はただの懐古補正なのだ。
むしろサーブ&ボレーは見ていてつまらないという批判があったのだから、昔のようなテニスに戻せばそういった批判が増えるだけで、むしろそちらの方がテニスにとって弊害になりえるとさえ言えるのではないだろうか。

現代のテニスを嗜んでいるプレイヤーにとっては、テニスの醍醐味は、BIG4や錦織圭が見せるストローク同士の打ち合いである。
時代とは変わるものなのだ。
ラケットやコートが変わればプレイヤーや観戦者たちの趣向も自ずと変わってくるものである。

もちろん彼らの意見は一つの意見として尊重すべきであるし、それを全否定するつもりは私も毛頭ないのだが、彼らの言うようにラケットまで規制してしまったら、何が起きるか。
ボールが当たりにくくなり、テニスの難易度が増す。初心者の敷居が高くなる。それにより、テニスから離れていく者も出てくるだろう。
これこそテニスにとっては弊害に他ならない。
ラケットの素材が変わり、面が大きくなったことでボールが当たりやすくなり、初心者もとっつきやすいスポーツになったのだが、ラケットを戻してしまえばそれも台無しである。
1980年代までの当時の選手はもともとそういったラケットを使っていたから適応できていただけの話であり、今のラケットから急に昔のようなラケットに変わってしまえば、今のプレイヤーは急激な難易度の変化についていけず、戸惑うだけである。
(時間をかけて少しずつ変化させていけばそのダメージを最小限に抑えられるのかもしれないが)

しかし、今のテニスプレイヤーや観戦者たちは、今のストローク同士の打ち合いを楽しんでいるのだから、それはそれで何も悪いことはないはずである。
変化を受け入れて見守るのも、先駆者たちの役割なのではないだろうか。