私が「ゆっくり茶番劇」について思うこと。
2021年3月8日 動画最近とある方から二次創作の意義などについて問われました。
その時は私は曖昧な返事しかできなかったのだが、今回は私がYouTubeに投稿されている「ゆっくり茶番劇」に対して思うことを綴ろうと思います。
なお、私個人の感想でしかないことを考慮した上で読んでいただければ幸いです。
まず結論として、YouTubeに投稿されている「ゆっくり茶番劇」の7割に対して私が持つ感想は、
「オリジナルキャラでやった方がいい」
です。
同じような主張をしている方を何度か見たことがあるので、こういった感想を持っている方も、この記事を読んでいる方の中にいるかもしれません。
同時に、こういった意見をあまりよく思わない方もいらっしゃると思います。
両者の方々のために、私がこの主張をする理由についてお話します。
まず、私の持論ですが、「二次創作」の醍醐味とは、
既存のキャラクターの性格や個性、設定を、別の世界観/状況設定/視点でどう生かすかを楽しむことだと思っています。
東方で言うなら、同人誌などでよくあるのが「霊夢や魔理沙が能力のない普通の女子高生だったら」という設定です。幻想郷のように能力こそ使わないものの、キャラクター同士の関係性や性格が反映され、それによってリアルの世界でいろんなイベントに繋がっています。原作で関連性の深いキャラがセットで登場し、原作と似たような騒動をリアルの世界で引き起こすシーンもしばしば見受けられます。
しかし、ゆっくり茶番の場合、キャラクターの特徴が名前と外見程度しか残っておらず、(状況設定やセリフなどを一切変えず)キャラクターの名前と外見だけを別のキャラクターに置き換えても差し支えないものが非常に多いです。
私が見た印象だと7割くらいはそういった内容でした。
しかし、これだけだと「それならもう別の作品としてみればいいじゃないか」と思う方も多いと思います。
ではなぜこういった作品に対して「オリジナルでやった方がいい」とまで主張する必要があるのか。
それはキャラの特徴や個性を知る楽しみがないからです。
これも私の持論でしかないですが、一次創作の醍醐味の一つはキャラクターの名前や特徴、性格や個性を読み進めながら知っていくことだと思っています。
一次創作であれば登場キャラは全員知らないキャラですから、新しいキャラが出るたびに「このキャラはこんな名前で、こんな性格なのか」「この子はどんな個性を持っているんだろう」と予想し、深く読み込んでいく楽しさがあります。
しかし、ゆっくり茶番劇は登場キャラが既存のキャラ。キャラの外見や特徴などは頭に入っている状態です。
登場キャラが既存のキャラなので、キャラのデザインを見て楽しんだり、特徴や傾向を読み込んでいく楽しみがありません。
かといって、その既に頭に入っている性格や特徴を楽しもうにも、それすら失われてしまっているので楽しむことができません。
以前「オリジナルでやれ」という意見に対する反論を綴った記事を見かけましたが、その記事を書いた方に、この意見の裏にはこういった理由が存在するということを知っていただけると嬉しいなと思いました。知った上で同じように反論するのならそれ以上何も言うつもりはありませんが。
つまるところ
二次創作の醍醐味である、キャラのもともと持っている属性を別視点や別世界で生かす楽しみがなく、一次創作の醍醐味である、新しいキャラの特徴や個性を研究していく楽しみがない、
それが私から見たゆっくり茶番劇です。
誰でも務まるような役柄を既存のキャラにやらせてしまっては、キャラの属性を享受することができないというのが結論です。
既存のキャラを使うなら、「このキャラがこの世界にいたら…」「原作のこのシーンの裏側では…」といった状況設定にして、そのキャラの持っている属性をストーリーや細部のシーンに生かしてこそ二次創作は面白くなるのではないか?と思っています。
それらがないなら、いっそデザインも名前も完全オリジナルのキャラが出てきた方が新鮮味がありますし、キャラの個性を知り、研究していく楽しみも生まれるのではないでしょうか。
ストーリーとしては面白かったとしても、キャラの属性を楽しむという側面を失っているため、見ていて薄っぺらく感じてしまう、というのが私の感想になります。
その時は私は曖昧な返事しかできなかったのだが、今回は私がYouTubeに投稿されている「ゆっくり茶番劇」に対して思うことを綴ろうと思います。
なお、私個人の感想でしかないことを考慮した上で読んでいただければ幸いです。
まず結論として、YouTubeに投稿されている「ゆっくり茶番劇」の7割に対して私が持つ感想は、
「オリジナルキャラでやった方がいい」
です。
同じような主張をしている方を何度か見たことがあるので、こういった感想を持っている方も、この記事を読んでいる方の中にいるかもしれません。
同時に、こういった意見をあまりよく思わない方もいらっしゃると思います。
両者の方々のために、私がこの主張をする理由についてお話します。
まず、私の持論ですが、「二次創作」の醍醐味とは、
既存のキャラクターの性格や個性、設定を、別の世界観/状況設定/視点でどう生かすかを楽しむことだと思っています。
東方で言うなら、同人誌などでよくあるのが「霊夢や魔理沙が能力のない普通の女子高生だったら」という設定です。幻想郷のように能力こそ使わないものの、キャラクター同士の関係性や性格が反映され、それによってリアルの世界でいろんなイベントに繋がっています。原作で関連性の深いキャラがセットで登場し、原作と似たような騒動をリアルの世界で引き起こすシーンもしばしば見受けられます。
しかし、ゆっくり茶番の場合、キャラクターの特徴が名前と外見程度しか残っておらず、(状況設定やセリフなどを一切変えず)キャラクターの名前と外見だけを別のキャラクターに置き換えても差し支えないものが非常に多いです。
私が見た印象だと7割くらいはそういった内容でした。
しかし、これだけだと「それならもう別の作品としてみればいいじゃないか」と思う方も多いと思います。
ではなぜこういった作品に対して「オリジナルでやった方がいい」とまで主張する必要があるのか。
それはキャラの特徴や個性を知る楽しみがないからです。
これも私の持論でしかないですが、一次創作の醍醐味の一つはキャラクターの名前や特徴、性格や個性を読み進めながら知っていくことだと思っています。
一次創作であれば登場キャラは全員知らないキャラですから、新しいキャラが出るたびに「このキャラはこんな名前で、こんな性格なのか」「この子はどんな個性を持っているんだろう」と予想し、深く読み込んでいく楽しさがあります。
しかし、ゆっくり茶番劇は登場キャラが既存のキャラ。キャラの外見や特徴などは頭に入っている状態です。
登場キャラが既存のキャラなので、キャラのデザインを見て楽しんだり、特徴や傾向を読み込んでいく楽しみがありません。
かといって、その既に頭に入っている性格や特徴を楽しもうにも、それすら失われてしまっているので楽しむことができません。
以前「オリジナルでやれ」という意見に対する反論を綴った記事を見かけましたが、その記事を書いた方に、この意見の裏にはこういった理由が存在するということを知っていただけると嬉しいなと思いました。知った上で同じように反論するのならそれ以上何も言うつもりはありませんが。
つまるところ
二次創作の醍醐味である、キャラのもともと持っている属性を別視点や別世界で生かす楽しみがなく、一次創作の醍醐味である、新しいキャラの特徴や個性を研究していく楽しみがない、
それが私から見たゆっくり茶番劇です。
誰でも務まるような役柄を既存のキャラにやらせてしまっては、キャラの属性を享受することができないというのが結論です。
既存のキャラを使うなら、「このキャラがこの世界にいたら…」「原作のこのシーンの裏側では…」といった状況設定にして、そのキャラの持っている属性をストーリーや細部のシーンに生かしてこそ二次創作は面白くなるのではないか?と思っています。
それらがないなら、いっそデザインも名前も完全オリジナルのキャラが出てきた方が新鮮味がありますし、キャラの個性を知り、研究していく楽しみも生まれるのではないでしょうか。
ストーリーとしては面白かったとしても、キャラの属性を楽しむという側面を失っているため、見ていて薄っぺらく感じてしまう、というのが私の感想になります。
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